壁を破るために「前提」を疑う勇気を持つ
皆さんは前提を疑う勇気を持っていますか?
今、自分の目から見えているものは本当に正しいものなのか?
そもそも、正しいってなんだ?
こんな風に「根っこの部分」から考え直せる人は、本当に達成したい目標のために自分を変化させられる人。
— 石井タイキ/スポーツメンタルコーチ (@senaka_push) December 12, 2020
スポーツメンタルコーチとして活動している私はこの当サイトや各種SNSで
「結果にふさわしいメンタルをデザインする」をコンセプトに情報を日々発信しています^^
「前提」を疑う勇気が壁を破る
停滞している…目の前に壁がある…解決できない問題がある…
そんな悩みを抱えてはいませんか?
もしかすると、その問題が解決できないのは
「そもそもの前提」を疑えていないからかもしれません。
周りに合わせて流れを守り、考えることも必要です。
しかし時には、
空気をぶち壊すような発想が停滞した雰囲気を打破するキッカケにもなり得ます。
今回はその理由についてお話していきます^^
目の前の前提は「先入観」かもしれない
- 何かを話すとき
- 何かを選ぶとき
必ずそこには何を基準にするのかという「前提条件」があります。
その基準に沿って人は判断・決断・選択をしていきます。
では、その前提がそもそも先入観だったとしたらどうでしょうか?
おそらく、先入観にふさわしい発想しか出てこないでしょう。
オレの価値観が正しい!
このように人は無意識のうちに自分の価値観を信じたいと思う傾向にあります。
否定されることを好む人は滅多にいないでしょう。
しかし、だからこそ「そもそも本当にそうなのか?」と前提を疑える勇気や、
問いかける勇気が客観的に物事を見るための一つのエッセンスになることは間違いないです。
人は繰り返し聞くうちに真実だと錯覚してしまう
心理学において「真実性の錯覚」というものがあります。
- 本当に正しい場合
- 本当に間違っている場合
どちらにせよ、その情報を繰り返し聞くことで
「その記述が正しいという確信」が徐々に強まることが実験によって示されています。
このように同じ情報に繰り返し触れることによって、実際の正誤に関わらず、
その情報が真実であるように感じられる傾向を、「真実性の錯覚」と言います。
これは、情報が反復提示されることで
その情報の処理が容易になることが原因となって生じる錯覚だと考えられています。
同じ前提条件で繰り返し議論していると、
あたかもそれが当たり前で、前提条件には問題はないと錯覚してしまうということです。
前提を疑う勇気が壁を破りブレイクスルーを起こす
最後にある言葉をご紹介して終わりたいと思います。
真実の追求は、
誰かが以前に信じていた全ての“真実”の疑いから始まる。
これはドイツの哲学者であり、現代では実存主義の代表的な思想家の一人として有名な
フリードリヒ・ニーチェの言葉です。
目の前にある当たり前に疑問を持ち、
全く違う角度から物事を見ようとする姿勢を持つことができたら
みなさんにはどんな素晴らしい変化があるでしょうか?
ぜひ考えてみて下さい!
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました^^